しかし、半世紀も前、1966年当時の事件についての詳細は、あまり理解していませんでした。。。
袴田事件の事件概要〜
1966年6月30日の午前2時頃、静岡県清水市横砂の味噌製造会社専務の居宅兼事務所で、専務の橋本藤雄さん・当時(42歳)の他、妻・当時(38歳)、次女・当時(17歳)、長男・当時(14歳)の4人が殺害された後、家屋に火をつけられ、家族・家屋が焼失しました。
当時、勘当状態で別棟に住んでいた被害者の長女の橋本昌子さん・当時(19歳)だけが助かりました。
松本サリン事件や光市母子殺人事件のように、警察により、被害者家族・ご遺族の事件への関与が疑われることはなく、また、当時、橋本昌子さんと交際していたヤクザ風と言われる彼氏も疑いをかけられることはなかったようです。
警察は、この事件に関しては、元プロボクサーで、味噌製造会社の従業員だった袴田巌(はかまだいわお)さん・当時(30歳)を犯人とする決定を下しました。
犯人とする決定を下した以降は、袴田巌さんを強盗殺人、放火、窃盗容疑で逮捕して、朝昼晩、深夜までも棍棒で殴る蹴る、睡眠時も酒浸りの泥酔者の隣の部屋にわざと収容させ、その泥酔者にわざと大声を上げさせる、トイレにも行かせず、取調べ室にバケツを持ち込み取調官の前で垂れ流しにさせるなど、肉体的にも精神的にも徹底的に痛めつける拷問の末、勾留期限3日前に袴田巌さんを自供に追い込み、シナリオ通り、犯人に仕立て上げました。
〜ここまで袴田事件の事件概要
そして、検察当局は面子のためだけに冤罪を生み出しただけでは飽き足らず、今度は面子のためだけに静岡地裁が決定した再審開始決定の取り消しを求めて即時抗告する方針だそうです。
ひとりの人間の人生と、その家族の人生を奪っても何も変わらないのですね。。。
ここまでくると、面子のために犯罪・犯人をでっち上げる集団というよりも、面子のために犯罪を犯す集団と言った方が相応と思われます。
そして、静岡地裁が再審開始を決め、袴田巌さん(78歳)が釈放された3月27日の翌日、3月28日というタイミングで、被害者の長女・橋本昌子さん(67歳)が亡くなりました。
1966年に静岡県の旧清水市で起きた袴田事件で、別の棟にいて被害を免れた当時19歳の長女が死亡していたことが分かりました。
袴田事件は、味噌製造会社の専務一家4人が殺害されましたが、別棟に寝ていた当時19歳の長女は無事で、その後も事件のあった自宅で暮らしていました。
関係者によりますと、28日夕方に親族が自宅に様子を見に行ったところ、異変に気付きました。
近所の住人:「救急車が来たみたいだけど、(女性が)亡くなったようなことを言ってたよ」
近所の人によりますと、1週間前から長女の姿が見られなかったということです。
長女は、数年前に夫が亡くなってから自宅に一人暮らしでした。警察は、事件性は無いとみています。
Yahoo!ニュースより引用
http://news.yahoo.co.jp/
警察は死因を発表しなければ、世間が「自分で命を絶ったのだ、だから死因の発表を控えているのだ」と勝手に判断してくれる、報道も自粛されると考えているようです。
しかし、仮に、橋本昌子さんが、袴田巌さんを犯人だと思い込んでいるご遺族だとしたら、死んでいる場合じゃない、戦おうと考えるのではないかと思えます。
また、真犯人につながる重要な真実を握っていながら、48年もの間ひた隠していたのだとしたら、拘束され続け苦しんでいる冤罪被害者の存在を知りながら、それだけ長きに渡り、真実を隠し通すような神経の持ち主が自ら命を絶つとは思えません。
東京拘置所で拘束されていた袴田巌さんは、十数年前から精神を病み、家族、支援者との面会もほとんど出来ない状態でしたが、袴田巌さんが書いた獄中書簡があり、その中に 警察が早々に事件性は無いと発表した今回の事件・橋本昌子さんの事件 のヒントがあるようです。
袴田巌さんが書いた獄中書簡
「……殺しても病気で死んだと報告すればそれまでだ、といっておどし罵声をあびせ棍棒で殴った。そして、連日二人一組になり三人一組のときもあった。午前、午後、晩から一一時、引続いて午前二時まで交替で蹴ったり殴った。それが取調べであった。……息子よ、……必ず証明してあげよう。お前のチャンは決して人を殺していないし、一番それをよく知っているのが警察であって、一番申し訳なく思っているのが裁判官であることを。チャンはこの鉄鎖を断ち切ってお前のいる所に帰っていくよ。」(1983年2月8日)
警察、、、検察、、、
「どうせ真実が暴かれるとしても、また半世紀後だし、真実は 何をやってでも とことん隠蔽しよう!」ということで、またやってしまったのか。。。
とっくに潰れている面子のために、そこまで、そんなことまで やってしまったのか。。。